福祉工場で働くということ。障害者が/障害者と #7

製造課制作係 製版担当
大田福祉工場10年目の就労継続支援A型雇用の従業員です。
営業として入職して1年半程働き製造課制作係に移動し、主に製版業務を8年程してきました。
私の自己紹介を簡単にさせて頂きます。
私は20歳の時にいろいろな原因で幻聴を発症し、医者に統合失調症と診断されました。
処方された薬を飲み、すぐに症状は改善されました。
私は広島県広島市の生まれで、最終学歴は広島市にあるデザイン系の専門学校で、グラフィックデザインを学んでました。学校を卒業して、上京してきて都内のデザイン会社や飲食業の会社の社内の販促部で正社員として3年程働いてました。
しかし、仕事をしてる中で軽度の色覚異常である事が分かりました。
色覚異常とは、正常とされる他の大勢の人とは色が異なって見えてしまう・感じてしまう状態のことをいいます。
さて、これじゃ一流のデザイナーを目指すのは無理だなと思い、デザイナーの夢は諦める事にしました。
先輩のデザイナーからは色がずれて見えるぶん、色を按分すれば大丈夫と言われましたが、ショックで聞く耳をもてませんでした。その後はクリエイティブ系の仕事から離れましたが、正社員として一般就労で病気の事は伏せて働きつづけました。
大田福祉工場に応募したきっかけは、病気の事をオープンにしてそれでいて普通に働ける会社はないかと思ったからです。
当時、私が大田福祉工場に入職した時は就労支援室はなく印刷一本でしたので、この会社なら自分のスキルや知識も活かせるかと思いました。
営業で応募したのは、自分の新たな可能性を試すためのチャレンジでした。
昔からチャレンジ精神だけは人一倍ありましたので、なんでもやってみようという思いでした。
実際に営業をやってみると、当時の自分には少ししんどく、製造課に異動願いを出しました。製造課に異動し、主に製版のオペレーターとして働き、DTPオペレーターや内校などいろいろさせて頂きました。
大田福祉工場でも仕事でミスをすれば叱責をされるし、パワーハラスメントを受けた事もあります。しかし、その都度上司に相談すれば親身になって相談に乗って頂き対応してくれました。
そこが一般の会社と大田福祉工場の大きな違いだと、私は思います。
入職して無事に10年目を迎えれたことを感謝してます。