2025年ワーカビリティ・アジア会議 inフィリピン報告 & 戦跡ツアー感想

ワーカビリティ・アジア会議2025に参加しました

2025年9月、アジア各国の行政・企業・団体が集まり、障害のある人の働く場づくりについて議論する「Workability Asia(WAsia)会議」がフィリピン・マニラで開催されました。私も3日間にわたり参加し、世界の最新の取り組みや、現場で活かせるヒントを多く持ち帰ることができました。

1日目:インクルージョンの“本質”に触れる

初日は、仕事におけるインクルージョン(包摂)をテーマに各国の登壇者がスピーチをしました。
「障害は個人の問題ではなく、社会の環境によって生まれる」
「どうすればできるか、を一緒に考えることが出発点」
といったメッセージが繰り返し語られ、会場全体が“視点を変えること”の大切さを再認識する時間となりました。

2日目:企業・行政・NGOの実践から学ぶ

2日目は、実際にインクルーシブ雇用を進めている企業や行政担当者の発表が続きました。
合理的配慮の考え方や現場での課題、チームで支える仕組みなど、すぐに活かせる知見が多く紹介されました。
「特別なことをするのではなく、一人一人の働きやすい環境を全員で整えること」
という各国共通の姿勢が印象的でした。

3日目:現地視察で“地域の支え方”を体感

3日目は、フィリピンの自治体が運営する障害児支援センターを視察。
国や制度が違っても、地域で支え合いながら未来をつくっていく姿勢は共通しており、アジア地域での連携の可能性を感じる視察となりました。

今回の参加を通して

3日間を通じて最も強く感じたのは、「インクルージョンは、特別な取り組みではなく、私たち一人一人が人に寄り添った行動から生まれる全ての人にとってより良い社会の実現」という点です。

現場でできる工夫、当事者の声に耳を傾ける姿勢、そして小さな改善の積み重ねが、誰もが働ける社会につながっていく。そのことを改めて実感できる会議でした。

フィリピン戦跡を訪ねて

私がフィリピン・マニラ研修に参加させていただくにあたり、「マニラ戦跡ツアー」の参加希望を聞かれました。そのとき、幼い頃に父から聞いた言葉をふと思い出しました。

「かおちゃんのひぃ爺さんはフィリピンの○○島で戦死したんだよ。」

父もすでにこの世にはいないため、その○○の部分を改めて聞くことはできません。自分でも思い出せないほどぼんやりとした遠い記憶でしたが、ただその事で今回のツアーは、まるで私自身が戦地にいたかのような臨場感のある足音で、私の心に近づいてきました。

フィリピンという土地は、約300年間スペインに占領され、その後アメリカ、日本、再びアメリカの統治を経て独立に至るという歴史を持っています。それを物語るように、マイクロバスに乗って走り去る街並みにも現れました。

コンクリートとごちゃごちゃした電線が頭上を飾る、熱帯地帯にあるアジア特有の開放感のある街もあれば、とても整理されたニューヨークのウォール街のように洗練された場所もありました。しばらく走ると、赤茶屋根の石造りの建物が囲む旧スペインのような街並み「イントラムロス地区」に辿り着きました。

その中にあるサンチャゴ要塞を見学しました。サンチャゴ要塞は、16世紀に建造された歴史的な要塞で、スペイン植民地時代から第二次世界大戦まで軍事・政治の重要拠点として使われていた場所です。太平洋戦争下では、日本軍が民間人や抗日フィリピン軍を捕虜として囲った場所でもありました。

国際人道法では、民間人への攻撃や、捕虜を人道的に扱わないことは違法とされています。私はその時、その場所で、ツアーガイドのヒデコさんの言葉を聞いた後、自分の無知を悔やみました。

ヒデコさんはフィリピンに50年以上住んでいる歴史の語り部で、自ら現場に何度も赴き、一方向ではなく多角的な視点で歴史を観測している方です。その言葉には、ありありと血が通っていました。

目の前に階段の地下壕がある場所で、ヒデコさんは話し始めました。

「ここは当時、日本軍が抗日フィリピン軍の捕虜あるいは、フィリピンの民間人を拷問や溺れさせて処刑した場所です。その人数は600人にも及んだそうです。この地下壕は隣に川があり満潮時には川の水で満たされ、中にいた人は溺死ぬしかありませんでした、逃げ場のない空間にどんどん水が満たされて自分の死の恐怖が迫ってくる、あまりにもむごい殺し方ですね。」

私は自分がやった事のように胸が苦しくなり、申し訳ないという感情もこみ上げ、その場に手を合わせました。違うと信じたい気持ちはありましたが、わずか80年ほど前、私の先祖もここにいたかもしれないという不確かな事実が、私とこの残酷な史実を深く紐づけていました。

その時、昨日出会った、明るく優しいフィリピン人の青年の顔がよぎりました。とても好意的で、その青年はフィリピンで流行っているファーストフードのことや、自分がやっている仕事について教えてくれました。1ヶ月でも一緒にいれば、すぐに友人になれたと思います。

もし僕らも時代と立場が違えば、この戦下の状況に僕らを置き換えたのならば、僕は彼を人と見ず、食料も与えず、拷問し、処刑しただろうか、 あるいは、声をあげて友人を守ろうとしただろうか。

ヒデコさんの話を聞いて、私がその場にいたら倫理的に正しい行動をとる自信がないと思いました。皆が守るもののために、すでに多くを犠牲にし、心身ともにギリギリの状態。軍の意向にそむく個人の判断は淘汰されると分かっていても、その場の感情で、組織にとって不都合な正しさを選択できない。なぜなら戦争とは勝ち負けに関係なく、モラルに反していて、多くを奪い、多くを失い続けなければならないものだから。

今回の戦跡ツアーの後、私は自分自身を見つめ直そうと思い、歴史資料館などに通うようになりました。ネットで調べても感じることのできない、生々しい当時の戦争の傷や記録を見て、深く自分自身にも戒めることで、この地球上で現在も同じ時間軸で起きている戦争に断固として反対し、また、ヒデコさんがそうであるように、私も戦争の悲惨さを受け継ぎ、次の世代にも伝えていくことで、平和がこの先も続いていくことを願っています。(K.T.)