デンマーク留学の報告|障害者が/障害者と #19
はじめに
大田福祉工場就労支援課、相談支援員の戸石と申します。普段は車椅子に乗って生活をしています。
私は2021年の8月~12月の間、デンマークで福祉の勉強をする為にエグモントホイスコーレという学校に留学をしていました。デンマークやこの学校を留学先に選んだ理由の一つにやはり、「ノーマライゼーションの考え方が根づいている国」だからです。
私が車椅子の生活になったのは10年前、プールの飛び込み事故で首の骨を折り、頸椎を損傷し四肢麻痺になりました。
そこから元々通ってた大学には戻れず、働くまでも針の穴を縫うような可能性を辿ってきました。
また、子供の頃からダウン症をもった友達がいてその子と違う学校に行く事や、私たちのいる世界とは違う世界がある感覚を子供ながらに覚え、ずっと違和感を持っていました。ノーマライゼーションの発祥の地で福祉を学び、体験する事で、障害者と健常者を分けない事の一つの解を自分の中に持ち仕事に活かしたいと思っていました。
留学先の学校について
留学先の学校は約3分の1の学生が何らかの障害を持っています。1970年に障害者と健常者を分けないインクルーシブ教育の先駆けとして始まり、「対話と共生」というテーマで福祉の思想を学ぶ事が出来ます。
学生は障害のある方もない方も関係なく、共に生活し共に学びます。
学校の授業では環境問題や政治、デンマークの福祉、ジェンダー、介助の技術、障害者雇用や障害者の暮らし等多岐に渡るテーマを学びました。日本の講義との違いは先生が前に立って何かを教えるのではなく、先生はファシリテーターとなり、学生は円になって対話をしながら学んでいく授業が多かったです。
過酷な就学旅行について
私が特に印象に残っている出来事は、「過酷な修学旅行」です。
目の不自由な方も、車椅子の方も、自閉症の方も関係なく、5日間、朝から夕方までただひたすらに森の中を歩きます。
森の中には険しい坂道があったり、途中で雨も降ったりするので、皆で協力をしながら車椅子を押したり、目の不自由な方のアテンドをしたり、皆が無理なく進めるように休憩のペース配分を考えたりして進みました。
終盤になると体力も精神力もギリギリの状態になります。ただ、そこからが本当のノーマライゼーションを感じた瞬間でした。
皆が遠慮なく自分の言いたい事を言い合い、相手の今の気持ちを分かちあって、
歌ったり、冗談を言い合ったりして、お互いの心を元気にしようと支えあいます。
過酷な修学旅行を終えた時、そこには障害なんてなかった事に気づきます。
誰だって誰かを支える事が出来ますし、私たちはそうゆうふうに生きているのだと改めて実感しました。
ノーマライゼーションの発祥の地にはすでにノーマライゼーションという考えを必要としておらず、デンマークで感じた福祉とは全ての人にとって明日の心配をすることなく今の幸せにフォーカス出来る社会の事だと思いました。
幸せに生きるためのヒント
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