福祉工場で働くということ。障害者が/障害者と #15「モノクローム。」

コラム15回目画像
担当:製造課
匿名

メンタルクリニック通い。
服薬。
障害者手帳。

想像だにしていなかった日常が始まった40代。
その頃の心象風景を言葉にするとしたら、鮮やかにクリアな原色だった世界が、モノクロームのどうにも味気ない景色になってしまった、と言った感じでしょうか。
季節の変化を木々や花々、風の中に感じるのが好きだったのに、何も感じられなくなってしまい、まるで僕の周りだけが透明の厚い膜で覆われ、現実世界から分断させられてしまったかのように。

現実世界から分断された孤立感。
自己否定。
存在の無価値。
そんな思いにさいなまれて、もがいて苦しんで。
そんな苦しさをどうにか誰かに伝えたいのに伝えられない。
伝えたくても言葉が出ない。
言葉が出ても、相手に理解してもらえない。
ごくごく近しい人にさえわかってもらえない。
そうこうしているうちに、僕は殻に閉じこもるという手段に逃げ込むようになりました。
それが一番楽だったからです。

大好きなシンガー、中島みゆきさんのライブラリーの中に「命の別名」という曲があります。だいぶ前ですが、ドラマの主題歌にもなったので、何となく知っている方もいるかもしれません。その中にこんな歌詞があります。

何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人がどこかにいてほしい

僕がいることを喜ぶ人?
こんな真っ暗くらな男に?
そんな人がいるわけがない。
そんなひねくれた僕の心にすっと入り込んできた曲でした。ライブで3回、この曲を聴きましたが、どうしてもこの曲が流れると泣けてしまう自分がいて、隣の人はさぞや変なおっさんだと思っていただろうと思います。
あの頃、この曲やユーミンの「ひこうき雲」とか、そんな曲ばかり聴いていました。友人たちと少しずつ距離が開いていったのも当然です。
そんな殻に閉じこもる日々の中で、僕が学んだことと言えば、何かに、誰かに、「過度に期待してはいけない」ということです。社会も会社も病院も助けてはくれないのだと。でも、それも仕方ないことなんですよね。他人のメンタルなんてわかるわけがないんですから。何でわかってくれないんだ、と憤っていた僕自身が一番わがままで、独りよがりだったのだと思います。

そんな頃に出会ったのがこの工場です。
弱音を吐いても、泣き言を言っても大丈夫なんだ。つらかったら逃げていいんだ。
そんな環境があるなんて思ってもいなかったので驚きでした。
前職では「正論」の波に、殻が完全に閉ざされましたから。
そんな僕が、こうした環境に入ることができたことの意味は、自分が思うより遥かに大きかったようです。救われました。本当に。

うまく言葉にできなくても大丈夫になりました。
ひとり、もがき苦しむことが減りました。
少しずつ殻からでる時間が増えました。
何よりいろいろなことを抱えている人が回りに大勢いる。
これは大きな励みになります。
仕事を頑張ることのモチベーションになります。
人生最後の職場がここで良かった。
心の底から、そう思えるよう、これからも頑張っていこうと思います。

でも、まだまだ殻に閉じこもっちゃうこと多いんですけどね。
そんなときは、こんなやつもいるのだということを知っておいてもらえるだけでも幸いです。
たぶん、じきに浮上します。