福祉工場で働くということ。障害者が/障害者と #13

戸石プロフィール写真
担当:戸石 薫
就労移行支援 支援員

一寸先は闇だった、歩き続けて、また日は差した。

皆さん初めまして、僕は今年(2020年)の4月から、大田福祉工場の就労移行支援で支援員をさせて頂いています、戸石 薫と申します。
ここに来るまでの経緯と簡単な自己紹介をしたいと思います。

僕は手足に麻痺があり、普段は車椅子を使って生活をしています。
僕が障害を負ったのは、今から8年程前に遡り・・・、

2012年8月、大学3年の時に休学をし、僕は子供の頃からの夢だった、客船での世界一周の旅に出ました。それは、それまでの苦労が全て報われるようなとてもワクワクした想像以上の日々でした、

船内の内装は豪華絢爛で、デッキに出れば広がる遮るもののないどこまでも続く海と空。
虹や雷の天体ショーにイルカの群れのパレードや渡り鳥のサーカス団も定刻なく現れます。
極めつけは何十時間も船に揺られたその先にみえる、僕にとって宝箱みたいな島や国々。
上陸したその土地の文化はもちろん、におい、食べ物、ファッション、路地裏の景色、
未知の道での冒険の予期せぬ出来事の連続に、僕の胸は躍りました。

そんな日々の束の間、僕は船内のプールサイドで足を滑らし転倒、そのまま落下し、まだ水が満たされていないプールの底に頭から激突し首の骨を折りました。

気づいた時にはサウジアラビアの病院の中、なにが起こっているか理解できないままの手術。
一命は取り留めましたが手足に麻痺が残り、脳からいくら指令してもピクリとも動かない現実に、
僕は行く末の絶望を感じました。

それから―――
福岡県の病院や大分県の自立訓練施設で4年間リハビリをした後、1年間、埼玉県の職業訓練校でWebデザイン等を学びました。その後日本マイクロソフト社に入社をして、主に特別支援学校の生徒さんにoffice(ワード・エクセル・パワーポイント)を教える仕事をしていました。
マイクロソフトと2年間の契約が終了するとすぐに、アメリカのロサンゼルスに約3か月間の語学留学をしました。理由はこの体でもう一度世界一周をするためには何が必要となるか、どんな場面で苦労するかを経験しておきたいと思ったからです。

留学が終わり、就職活動をしていると大田福祉工場のピアサポーターの求人を見つけました。
※ピアサポーターとは、障害のある人自身が、自らの体験に基づいて、他の障害のある人の相談相手となったり、同じ仲間として社会参加や地域での交流、問題の解決等を支援したりする活動のことです。

僕自身も、障害を持ってから様々な福祉サービスを受けていたり、障害者雇用で働いていた経験があるので、役にたてるのではないかと思いました。
現在、僕は就労移行の支援員の仕事をしていて利用者さんにエクセルやワード等の業務で使うパソコンの操作を教えています。
福祉工場で働いて数か月が経ちますが、僕が感じた一般企業の障害者雇用と大田福祉工場で働く事との違いは、
一般企業の障害者雇用で働いていた頃は、会社から依頼された業務だけを行い、自分の裁量で行える仕事は少ない印象でした。
一方、大田福祉工場では、障害のある方達が中心となって働いていて、自己決定ができ、設備の面でも障害のある方が最大限自分の力を発揮することが出来るように日々取り組んでいるのだと思いました。

工場には様々な障害をお持ちの方がいるので、画一的な支援ではなく、個人のニーズに合わせた支援の方法を考えていく必要があります。
まだまだ未熟な部分もありますが、日々新しい気づきを貰いながら支援の在り方をブラシュアップしていき、自身の経験も存分に活かして、今後も共に働く皆さんの力になりたいと思います。