福祉工場で働くということ。障害者が/障害者と

担当:鶴田雅英
就労支援課・広報/新規事業研究/研修/交流&渉外 及び製本担当

リレーコラムを始めます

これから、大田福祉工場のホームページでコラムの連載を始めたいと考えています。テーマは『福祉工場で働くということ。障害者が/障害者と』

できれば、最低でも月に1回程度は更新したいと思っていますが、どうなるでしょう。福祉工場で障害者として、あるいは障害者とともに働いているみんなの生の声をできるだけ編集しないで、しかし、なるべくわかりやすい文章で届けたいと思っています。最低400字です。従業員のみなさん、これから依頼に行きますので、よろしくお願いします。

最初はサンプルもかねて鶴田から

ナチュラルサポートとピアサポート

ぼく自身、ここで働き始めて35年になりました。途中、95年~97年にかけて、アジアの障害者のことを知りたいという理由で、丸2年間の休職をもらって、アジア各地の障害者のところで居候するみたいなことをしていましたが・・・。

84年の秋に印刷工のアルバイトで入ったぼくは技術がなかったので、いつも指を真っ黒に汚して働いていました。いつまでたっても上達しないので、生産管理に移り、その後、いろんな職場を渡って、今に至ります。

ここで障害者といっしょに働いて、気がついたのは「人は慣れる」ということ。入社してまもなく、障害のある人と働いているのが普通になりました。一緒に働いている人が障害者であるということを忘れます。忘れちゃいけないこともあると思いますが、ぼくの場合は忘れますっていうか、意識しなくなっています。

民間企業で特例子会社を立ち上げた経験のある木村前所長が、就任されてしばらくたってから、ここにはナチュラルサポートとピアサポートが本当に「自然に」根付いていると言われて、「あつ、そうなのか」と思いました。意識しない形で、いっしょに働き、意識しない形で補い合うことができている、というのでした。

「福祉工場という制度」がなくなって

「福祉工場という制度」は自立支援法の成立とともになくなりました。そして、大田福祉工場は2012年4月から「福祉工場」という名前だけ残して、制度としては障害福祉サービス多機能型の事業所です。それまでは、サービスを受ける人と提供する人という区別なしで一緒に働く印刷工場でしたが、就労継続B型と就労移行支援という事業を始めることになり、「支援」が仕事に加わりました。

障害のある人とない人がいっしょに働く印刷屋の部分は制度が変わってもいままでどおりに動いていますが、B型や就労移行支援の部分は、いっしょに働く部分もあるのですが、微妙に重ならない部分もあります。そんな話もこれから、書いていければと思っています。

※このコンテンツは自由意見の場であり、「東京コロニー」「大田福祉工場」の意見ではありません。